01歴史から伝説へ
 アーサー王は実在したのか?
 この魅力的な謎に多くの人達が挑んできました。
 中世騎士物語のようなアーサー王と宮廷が存在したと、信じる現代人はほとんどいませんが、伝説のモデルとなった人物はいたのではないかと、考えられています。しかしモデルがだれで、いつどんなことをした人か、という段階になると、その人物像は曖昧模糊として、まるで霧の彼方にいるようにはっきりしましせん。

 舞台となる5世紀から6世紀にかけてのブリテン島は、大陸からやって来た蛮族、アングル人、サクソン人、ジュート人らの侵攻にあえいでいました。頼みの綱ローマ軍団は、本国ローマ帝国の弱体化から、410年にはブリテン島から撤退してしまいます。後に残ったのは混乱と破壊でした。6世紀半ばの聖職者ギルダスは、当時のブリトン人の恐怖を伝えています。
「主だった町は、ことどことく敵の破城鎚の前についえた。剣がひらめき炎がはじける中に住民、司教、僧侶その他の人々が薙ぎ倒されていった。(中略)彼らを葬る場所とて、こわれた家々の残骸の中か、獣や鳥の腹の中いがいになかった。」
(「アーサー王伝説」よりリチャード・キャヴェンディッシュ 高市順一郎訳 晶文社)
 この混乱の5世紀末から6世紀初め頃に、ローマン・ブリテン民族の貴族、首長達をまとめ、侵略者達に戦いを挑んだ戦闘指揮官がいました。彼は、バドニスの丘あるいはベイドン山といわれる場所でサクソン人を撃退し、その後半世紀近くの間平和な時代を築いたといわれます。
 この指揮官こそがアーサーではないか? しかし残念ながら、時代的にもっとも近いギルダスの著作には戦いの指揮官の名前が書いてありません。ギルダスは歴史記述者としてではなく、彼自身の時代の堕落を嘆く道徳家として記述しているので、人名にはほとんど触れていないのです。内容にくい違いが多い当時の文献資料や当時の貴族の名前の流行、後の伝説といった状況証拠から彼の名をアーサー、あるいはローマ読みのアルトリウスとする説もあり、非常に心ひかれますが決定的な証拠はありません。
 しかし彼こそが後の伝説上のアーサーのモデルであることは確かなようです。

 バドニスの丘の戦いで、一度はサクソン人を打ち破ったものの、民族大移動の時代の流れは押しとどめようがありませんでした。ブリテン島は再び侵略され、先住のブリトン人達はしだいに辺境へと追いやられていきます。イングランド中央部から、ウェールズへ、コーンウォールへ、アルモニカ(ブルターニュ半島)へ、スコットランド奥地へ……。これらの土地は海とサクソン人の土地によって分断され、以後それぞれに、先祖の伝統を色濃く残した独自の文化圏を作り上げます。

 故国を失ったブリトン人達は、落ち延びる際にも自らの英雄の記憶を繰り返し再生し、子孫に伝えたことでしょう。サクソン側の年代記記録者が沈黙している間に、被征服者ブリトン人達はかつての偉大な指揮官の物語を救国の英雄へと高めていきました。こうしてやがてヨーロッパ最高の王にまで発展する、アーサー伝説の種は蒔かれました。


<このページの制作に使った主な参考文献>
「アーサー王伝説」リチャード・キャヴェンディッシュ 高市順一郎訳 晶文社
「アーサー王 その伝説と歴史」 リチャード・バーバー 高宮利行訳 東京書籍
「アーサー伝説 歴史とロマンスの交錯」 青山吉信 岩波書店

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